クワインの論文「なにがあるのかについて」を対話ふうにして書いてみた。
クワインはプラトンの髭を剃りたいらしい。
プラトンの髭といっても、実在の哲学者プラトンの髭があったということじゃなくて、プラトン的な考え方の先に生まれた哲学的な髭のことだ。
プラトンはこの世界にはいろんな馬があるが、馬そのものがないと言った。そこで、馬そのものという余計な存在者(存在するもの)を作った。
その延長線にいる(とクワインに見なされる)哲学者たち(実際にはマイノングという哲学者とかがいますが)によって、存在するものはもっと増えていった。
例えば、ペガサスの存在とかね。
彼らプラトン的な人は「ペガサスは存在する」と主張する。それをプラトンの髭みたいなものだとクワインは言ったのだ。
なんでもかんでもすべて存在させたがるプラトン的な哲学者の論理をちょっと提示してみよう。



