人生は長いのだろうか?それとも短いのだろうか?
詩人ハイネは得意の皮肉でこう言う
人間よ、悪魔を嘲るなよ
短いものは人生だ
永劫の罰というのは
夢愚かな迷信じゃないぜ
人間よ、借金を払っておけよ
長いものは人生だ
すでに度々の経験だが
今後も借金は免れないぜ
「帰郷」
しかし、人生には長いも短いもない。
何かと比較して長い人生や短い人生があるだけで。
巻尺は長いのか?短いのか?と聞かれて、何と比べて7日、その巻尺は何メートルの巻尺なのかすら知らずに答えられるのだろうか?
人生は長い、人生は短い
と言うときは何との比較なのだろうか。
例えば、80年生きた男がいる。
彼が末期に「人生は短かった」とひとりごつ時、それは何を意味しているのだろうか?
それは客観的な時間80年と人生として生きたこの80年とを比べて言っているのだろう。
普段、熱中していた2時間をいつもの2時間と比べて短いと感じるのと同じである。
しかし、客観的時間もまた主観で測るしかない。それも、熱中していない時間を気にしている時の時間を基準としている。
つまり、人生80年が短いとは、普段時間を気にしている時の時間感覚を延長したものとして80年の空想と人生として生きたこの80年とを比べて「短い」と言っているのだとわかる。