チェスタトンの格言
「狂人とは理性を失った人間のことではない、理性以外のあらゆるものを失った人間のことである。」
これには二つの意味があるかもしれないと考えてみる。
ひとつはどこまでも理性によって合理性で突き進んでしまう場合、パラノイアや陰謀論者は実は極めて理性的だと言われる。彼らの中では合理的に説明がうまくつながり結びついている。
最近、現代形而上学論集を読んでいるけれど、そこでも同じような感じだ。そこでの論者は、ここに猫が一匹いるのに、少なくとも1001匹いることになってしまったりすると論じたりしていた。
ある意味では、理性ゆえに現実という大地から離れてしまっている。
適切性がない。論理的ではあっても、現実に生きている人々の視点などが無視されたりする。
一方で、その正反対、極めて良識的すぎるという意味で理性的な狂人。ダスマンかも?しかし、その良識があなたが生きているその時代のその場所のあなたの生きている界隈での社会感覚において良識的理性的ということであって、文化相対的なのだが、それに気がつかない場合。
“私の思うこの良識”が絶対だと押し付ける。
フーコー的な考え。近代科学の発達過程における理性概念によって、自分達と異なる人、狂人、すなわち反常識的、非理性的な者は、病気であるとされ精神病院に封じ込められた。理性的な振る舞いを強要することに何の疑問も持たない。狂気を病気とする考えも狂気かもしれない。
伝統的には
前者が認識に関わる理性
後者が実践に関わる理性
その二つをカントは混淆するからややこしいのかもしれない。