2020年8月1日土曜日

アリストテレスの思想がナチスと親和性?

アレテーとは徳とか卓越性とかいう意味を持つ古代ギリシャの言葉である。


卓越性について考える。


アリストテレスによれば、例えば最高のバイオリンは誰に与えられるべきか?それはお金を持っている人でも、貧しい人でも、チェロが弾ける人でも、将棋が強い人でも、ない。

最高のバイオリンが与えられるべきは最高のバイオリニストである。


こうしてその人のデュナミスが卓越性として発揮(エネルゲイア)されるのである。
{デュナミスとは力という意味で、アリストテレスは能力とか可能的であるという意味で使い、可能態と訳される。エネルゲイアとは、働き(エルゴン)のうちにあるという意味で、現実に作用していること、現実態と訳される。}


例えば、UさんはPCを使うことでさまざまな可能性が開くことができ、古本屋の店主と技術的なことがらにおいてさまざまなプロジェクトを広げる可能性がある。

しかし、Uさんにお金がなくお金を稼ぐ意志という可能態が少ないゆえに、Uさんは九州で通信機器すらあまり使えない状況にいる。

こういうときもまたUさんに最上のPCと生活基盤を与えるべきなのだ。


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そう言うと、その店主は「優生思想だね」と言った。


「優生思想?」最初、優生思想と卓越性がどうつながるのか私にはわからなかった。

しかし、よくよく考えると、わからないでもない。


それに優れているという理由でそれを与えるべきとすることは、その論法を進めると優生思想とも親和性が強い。

「優れた卓越性を持っている者は、その卓越性を発揮(エネルゲイア)せよ。」


これは暗に「劣っているものは、その点に関しては卓越性を発揮することをその劣っている程度に応じてせよ」ということと解釈されやすくなる。

そうすると、「君はバイオリンにおいては趣味程度を目指しているし、そもそも君はバイオリンに関する才能がない。なので君にはこのそれなりのバイオリンを与えるべき」

となっていく。これをさらに推し進めると、第一実体から、第二実体つまり、個人から種への問題と拡大しうる。

人間の持ちうる卓越性をエネルゲイアさせるのには、どのように考えたらよいのか。

もしも、遺伝子工学が使えるというならば、それはできるだけ使い、優れた遺伝子をより発揮するようにすべきではないのか?


こうしてラッドウィンプスの野田洋次郎が最近物議をかもす発言をTwitterでして炎上した問題へとつながる。こういう点で店主はコメントしたのだろう。


野田洋次郎はTwitterで「前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。 お父さんはそう思ってる #個人の見解です」このようにツイートして炎上したそうだ。


ただ、アリストテレスはそうではないと反論はできる。

アリストテレスはあくまで最高目的は幸福エウダイモニアだと言っているのだ。

個別的なもの、個人というものを離れた幸福というものはありえないだろう。

追記

しかし、プラトンならU君にこう突っ込むか?

ソクラテス「本当に君はパソコンを有効に使いたいのかね、Uくん?本当に有効に使うことが最善と考えているのならば、君はすでに通信環境を整えるべく、お金を稼ごうとしているのではあるまいか?」
Uツロクレス「はい、まったく、ゼウスに誓って」



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