ニーチェに短気は損気だよねって言ったらなんていうとおもいますか
むずかしいーでもあんまり部活の子にイライラしないようにする
1人はあんま好きじゃないー
それは何を知りたい感じかな?
きょう家で勉強してたら親から電話きて今ケータイショップにいるんだけど保険証がいるから持ってきて!自転車でダッシュ!っていわれて
理不尽だと思っていらいらしたんだけど
そういえばわたしもこんなふうに理不尽をしたことあるなーとおもって
それならもうちょっと広い心をもったほうがいいのかもっておもって
いやでもなー理不尽されるならわたしもしてもいいのかとかおもって
ニーチェはどうだろうっておもったからです
実際わたし都合悪いことあってめちゃくちゃ怒っちゃったとき振り返ったらあの時あんなに怒んなくてもよかったなってときもあったから
短気は損気?っておもった
なるほどね
でも、どういう意味で損気なんだろう。
おこっちゃったりするとあんまり気分良くないから
気分が良くないから損している気がしているのね。
うん、自分的に損なだけかもしれない
つまりは次の2択があるんだね。
仮定a.私は人に理不尽なことをされたならば、私は人に理不尽なことをしてもよい。
仮定b.私は人に理不尽なことをしたならば、私は人に理不尽なことをされても我慢せよ。
逆に、ニーチェに短気は損気だよねって言ったら、なんていうと予想している?
めちゃくちゃ怒ったから怒っちゃえっていうと思った
怒ったなら思ったらやれーっていうイメージがある
なるほどね。ということは、超人や幼子のイメージがそういう感じなんだ?
そうです
実はニーチェ自身は様々な言葉を残していて、短絡的に捉えきれない部分もある。これから彼の3つの言葉を紹介するよ。
「人間は不潔な河川である。まずもって大河であれ!不潔な河川を飲み込んでも、汚染されることのない大河であれ!」
「愛することができないとき、そこを通り過ぎるべきなのだ」
「私は隣人愛は勧めない。むしろ、遠人愛を勧める。」
この三つの言葉はほとんど同じことを言っているとするとどういう意味だろうか。
上の二つはなんとなくわかる気がする
僕の言葉で、不潔な河川を説明するとこうなる。
人間がうつわ(器)でストレスが水だとすると、
小さな器だと水は溢れてしまう。
大きな、あまりに巨大な器ならちょっとやそっとの器じゃあ、溢れることはない。
つまり、理不尽なことなど、いちいち怒ったりして気にするなってこと。
超人は人間を超えているので超人である。
人間を超えているならば、些末で不潔な事柄など、例えば、人から理不尽な目にあわされたとか、妬まれたり、噂話されたりとかそういった人間的な事柄など、受けても、何か動じることはない。
へー。今までのニーチェのイメージとちょっと違う感じがしました
だけどそういうことも乗り越えれるのが超人。そういうこともあって超人になれっていってるんですか?
2つ目は「その人を愛することができないなら」なんだけど、3つ目のも一緒に考えたほうが良くて、
ニーチェは家族や近所や学校などの距離の近しい人々ほど、つまり隣人ほどよく互いに醜くいがみ合い、こぜりあっていると思っていた。
イエス・キリストはそういう隣人同士こそ互いに愛し合いなさいと言ったけど、
ニーチェは違った。
ニーチェの次の言葉を読んで欲しい
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」
要するに、隣人を憎むなら、あなたもその隣人のようになるのだよ。理不尽なことに怒れば、理不尽なことをして仕返ししたくなるような自分になる。
そんな感じで僕は解釈した。
だから、隣人愛ではなく、遠い人、自分には通常届きそうもない偉大な人(例えば絵描きを目指す人にとってのパブロピカソ)、や未来の理想の自分や、自分自身と対等にやりあえ、戦いによって自分自身を高められる宿敵(例えば演劇部で全国大会目指す人にとってのライバル強豪校の演劇部など)を愛せ!と言った。
だから、ニーチェに聞くなら、あなたが理不尽にイライラしていいのは、あなたが憧れている人か、最悪の宿敵かのどちらかである。
感情を向けたいその人があなたにとって憧れの存在でも、高めてくれる敵でもないなら、それはただの人間であり、あなたにとっては単なる虫けらなので、無視しよう。というか、無視しようとしなくても、自然に無視してしまうほどの無視をしようと。
親は宿敵かなぁ。
私は部活の子にすごいきらいだとかいったりしたこともあったけどそういうんじゃなくてもっと上を見てすごそうとおもう
宿敵とは、自分と目標を同じにする者。つまり、あなたの場合は、同じく芸術でトップを目指している強敵ね。
じゃあそれ以外の人は理不尽にイライラしないようにした方がいいよってことか
ニーチェならそうねぇ
君が行きたい方向へと高めてくれる相手かどうかなんだよ。
でも、イライラしないようにするって難しいよね
むずかしいーでもあんまり部活の子にイライラしないようにする
一緒の方向に向かってる感じしたらイライラしてもいいのかもしれない
ニーチェとしては、器が大きくなったとしたら、超人になったとしたら、イライラさせる些末な人間に対しては哀れだなと、そいつら含めて周りは馬鹿ばかりだと、笑うようになるだろうと思われる。
そこからさらに大きくなると、もうそこにいることすらも何も感じない。
つまり、道端の石ころと同じで自然に通り過ぎてしまうんだ。
そこからさらに大きくなると、もうそこにいることすらも何も感じない。
つまり、道端の石ころと同じで自然に通り過ぎてしまうんだ。
なんかそれは人間っぽくない感じで嫌だ
ニーチェは行きすぎてるとおもう
人間を超えているからねぇww
まあ、ニーチェは行きすぎているので、通り過ぎろ!ww
とおりすぎる!
最後にニーチェはこうも言っている。
「これが私の道だ。しかし、だからといって、あなたがたが私の弟子になることは私に報いることではない。むしろ、私を乗り越えて、あなた自身の道を探せ!そのとき、私は本当にあなたの友となりうる!」という感じのことを言っている。
ニーチェには弟子みたいなひとはいたんですか?
いない
誰にも理解されることもなく、気が狂って死んだ。死後も、ナチス党員だった妹に思想を悪用される始末。
かわいそう
でもニーチェって
なんか女の子と友達と3人で暮らして友達に女の子取られたんじゃなかったっけ
あったよ。
かわいそうな人だ
「逃れよ、私の友よ、君の孤独の中へ。強壮の風の吹くところへ。ハエ叩きになることは君の運命ではない。」ニーチェ
イライラさせるような些末な人間=ハエ
つまり、周りに些末な人間ばかりなら、その場所から離れて、ひとりになりなさいと。
1人はあんま好きじゃないー
ニーチェは面白いけどやっぱりいきすぎてるな
どうしてひとりは好きじゃないの?
すごく嫌いなわけじゃないけど1人になると考えすぎて言葉が頭いっぱいになる感じがするから
思ったこととか話したり書いたりするといいんだけど
「君たちはおのれ自身に耐えることができない、またおのれ自身を十分に愛していない。」だから、「君たちは、自分自身と顔を向き合わせることから逃れて、隣人へと走る」ニーチェ
また、こんなことも言っている。
『「わたしのところには、いつももうひとりのわたしがいる。」そう独りでこもる者は言う。
「いつも1×1なのだがーそれが長期に渡るとニになってくる」
「わたし」ともうひとりの「わたし」とは、いつも熱中しすぎる。どうしてそれに耐えられようか、もしそこにもうひとりの友がいなければ。
独りの引きこもりにとっては、友はいつも第三者である。それは、わたしがわたしと話しすぎて深みに沈んでしまうのを防ぐ浮き輪である。』
ニーチェ
わたしともうひとりのわたしとはいつも対話に熱中しすぎる。
これが考えすぎてしまうということ。
案外、あなたと似たようなことを感じていたのかもね。
案外、あなたと似たようなことを感じていたのかもね。
沈んでしまうのを防ぐ浮き輪ってすごくよくわかる
いつもなってたのを言葉にしてくれてる感じしてすごいすっきりしたかんじ
ニーチェは狂ってるって思ってたけどここは共感できるな
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