先日、フランケンシュタイン読書会を行った。
みなさんはフランケンシュタインを読んだことがあるだろうか?
映画やオマージュ作品があふれているために、イメージはあっても、原作を読んだ人は少ないかもしれない。
読書会では次のような読み解きがあった。
怪物は怪物と呼ぶにふさわしくないほど人間的で感受性豊かで愛もあり壮大な自然を甘受して心打たれている。
一方で、怪物の創造者、いわば怪物の生みの親、ビクター・フランケンシュタインは精神的に成熟しておらず、自分勝手で自分で生み出した被造物を、自分の子供だと思わないで、醜いものとして退け逃避した。
しかも、対面時に怪物が冷静に理性的に語り掛けているのに対し、ビクターは端から拒絶し全く耳に入れようとしないのである。
むしろ、逆説的に怪物のほうが人間で、ビクターのほうがその見た目とは裏腹に怪物なのである。。
こうした意見を持って、参加者のみなさんは怪物に共感していた。だが、私は違った。
私はビクター・フランケンシュタインに、そしてまた、志を同じくするウォルトン隊長(怪物を追跡するビクターと遭遇し、ビクターに話を聞いた北極探検家)に共感している。
例えばこういう部分である。
「私は大喜びで、これらの著者の放恣な空想を読み、かつ研究したが、そういうものは、私以外の人のほとんど知らない宝のような気がした。 私は自分を、自然の秘密を洞察しようという激しい憧憬にいつも浸っている者だと称した。近代の哲学者たちの烈しい労作やすばらしい発見にもかかわらず、私はいつも、自分で研究してみたあげく、不満と不足を感じるようになった。」36頁