かつて恩師に言われたことですが、
「量を読むことで、質がついてくる」と。
要らないものもたくさん読め、読まなければそれが要らないともわからない。
そうして、たくさん読んで考えることで、次第に読まなくていい本がわかるようになっていき、良質な読書となっていくとか。
カントを読むのに、読む前からどの翻訳がいいかとか考えない。一回読んで、別の訳で読んで、原典で読んで、誤解を取り去りつつ、理解を深めていく。
一方では、私の知り合いには、ずっと軽い本しか読めない人もいました。読書量が多いのに、ラノベみたいのばかりだから、なぜか全然、国語力がつかないと言うw
ところで勉強量とはなんでしょうか?
量というからには、簡単に考えると、論文と本の冊数とかではないでしょうか?
質ではなく、あくまでも量という。
量というからには、具体的に数値化して計れることが重要になってきます。
何ページ読んだのか。もちろん、読まなくてもいいものがほとんどかもですが、それらをも含めて数に入れて量と言えるのかなと。
私は、一応、質はおいておいて、量だけにするなら、としました。
カントをベースにした私の考え方なのですが、
例えば、色に関して、本当に繊細で文化的で一部の繊細な人にしか味わえない色彩感覚というものが「質」としてあったりしますが、これを単なる「量」に還元すると、彩度がいくつとか、明度がいくつとか、色相とか、数値に還元して「量」にして測るのです。
質は主観的で比べたりすることは難しいが、量なら比べられて、量は対象(客観)に関わっているために、客観的に妥当性があると言えてしまう。(もちろん、方法として妥当なだけで、実際に妥当かどうかはひとつひとつ個別に吟味する必要がありますが。)
そんな感じのことを、カント自身はどこまで考えていたかよくわかりませんが、私はいろいろ読んでカントや他の論文などを参考に考えたことがありました。