結婚10年の女性マリアンヌは離婚弁護士をしている。
ある日、仕事で初老の既婚女性と面接をする。
その初老の女性は20年寄り添ってきた夫と離婚したいのだが、生活に何か問題があるわけでもなく、夫が浮気をしているわけでもない。むしろ、生活の面ではうまくいっている。しかし、子供が独立したのを見計らってその女は離婚を申し出る。
夫は、「何が不満なんだ!」とわめき繰り返す。
女は、「この結婚は愛がないから」と答える。
夫が「愛とはなんだ?」と尋ねる。
女は、「愛がないのにとうやって説明できて?」
こんな調子だ。
「でも、私はまだ誰も愛したことはないけど自分には愛することができるはずだ」とマリアンヌに言う。
愛はないけど思いやりやお金や子供はある結婚生活。しかし、愛がないために、何十年も経つとしだいに、すべての感覚が虚ろってきてしまう。ものを触っても、感覚が鈍く、感じれなくなってきている。
そうマリアンヌに言う。
実はマリアンヌは前から疑問に思っていた。
愛?愛なんて必要あるの?結婚生活に必要なのは思いやりの心と慈しみとユーモアと寛容の心、相手へのほどよい期待、それがあれば愛は関係ない、と。そんなものにこだわるから、離婚してしまうんだと。
しかし、マリアンヌは、その女の話を聞いて、はっとする、「わかる気がする」
なぜかはわからないが、何かが足りない。なにか空虚な、あらゆる感覚がうつろって何も感じられなくなる。そんな感じがマリアンヌの家庭、夫婦間でも存在していたことに気がついてしまったのだ。
映画では、説明はここまでなされない。この弁護士は「わかります」という一言と表情だけで語る。
2つのシーンを取り上げてみよう。