2011年2月23日水曜日

経験と記憶と忘却

ある日、何らかの失敗経験をして「AはBである」ということに気付いたとしよう。その言葉としての「AはBである」は次第にそれに付属していたその時の経験のあるイメージを失っていく。そして「AはBである」という言葉だけがひとりで残っている。その経験と教訓とが強烈だった場合、私はその言葉と衝撃をよく覚えていながら、その意味だけを忘れていく。「AはBである」という言葉に含まれていない多大な情報が欠落していくのである。あるいはさらに時がたつとその言葉すら忘れて衝撃を受けた感覚のみ、あるいはその逆に衝撃感覚を忘れただの言葉だけ残ることもある。経験というものは次に同じことをする前にそれをあらかじめ予期して吟味するための材料となりえるものなのだが、経験内容を失った言葉、や忘れてしまった言葉、言葉なしのその経験のある感覚だけが残っていてもほとんど役に立たない。そしてまた同じ失敗経験を繰り返す。そして、こう思うのだ「ああ、前にも同じ失敗をして同じ教訓≪AはBである≫を得たのだったな」。忘れていた言葉、その意味と経験感覚をもう一度再現する・・。
同じ失敗をした自分に嫌悪する。しかし、時がたてばまた繰り返す。

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