あなたの思う哲学とはなんですか?と問われた。
その方は哲学書などはあまり読んでおらず、そうした知識には詳しくない。けれども、その人なりにいろんな哲学的なことを考えているらしい。
さて、哲学とはなんなのか?
「もし活動としての哲学が、考えること自体に対して考えるという批判的作業でないとするなら、今日、哲学とはいったい何であろうか? 別の仕方で考えるということが、いかに、どこまで可能なのかと知る試みに哲学が存立していないとするなら、哲学とはいったい何であろうか?」 ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ―快楽の活用(原著14-15頁)』
哲学向き不向きについて考えていました。
哲学に向いている人の3つの条件
条件1 問いのズラしと遡及。
何か問いを出されたときに、哲学的な切り口の問いに変換させるのがうまい人
具体的には、問いの展開の仕方が、ズラしたり遡及したりすると哲学的な切り口に近い。(ニャローテさんが私の言葉をまとめ、かつ補足してくださいました。)
条件2 ペンディング
(哲学的な問いは、簡単には答えられない難問が多いため、)その問いをずっと考え続け、前進やときに後退をし続ける人。
(すぐに結論を出して、それ以上考えない人は向いていない。)
哲学とは、知っていることではなく、知らないことを自覚して知を愛し求めることだから。
条件3 常識との齟齬
多くの人がなんとなく常識として受け入れていることに関して、なんだかもやもやしたり、不思議を感じたり、異なる感性や考えを持っているためにズレを感じ、そのズレを大切に保持し続けること。
(リアルでの哲学友の意見)
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哲学とは何か↓
「人間は考える葦である」パスカル
「大方の人間は考えていない猿である。正確には、大方の人間は浅いところまでしか考えていない。そして、この考え自体が浅い。私もそう深くは考えていないで適当に言ったのである。」
カイン
もちろん、哲学に携わらない人でも常日頃から考えています、瑣末なことを。
誰かに向かって「君は考えていない」と言うとは、言った人が思う「考えるべきことを考えていない」というのが含まれているように思われます。
哲学に携わっていても、カントやらニーチェやらについては考えても、それを自分の人生に引き寄せたり、もっと重要なことについては考えていないかもしれない。
しかし、重要なことというのは人によって変わる感じもします。もちろん、ある程度は絞られますが。
考えるべきことはある人にとっては「自分の家族」について考えることなのかもしれないし、将来の身の立て方かもしれない。しかしそうすると、国家のことか、地球のことかは大き過ぎるがゆえに考えても意味のないことかもしれません。しかし、別の人にとっては逆で、そんなに身近なことよりも、国家のこととか地球のことを考えるべきと思うかもしれない。など