先日、木下大サーカスを見まして、サーカス関連の映画を見てみました。
「フェリーニの道化師」1970伊
サーカスブームが去り、年老いた道化師たちを取材するという映画。フェリーニ監督。
「グレイテスト・ショーマン」2017米
身体障害などのため、個性的であらざるを得ない人たちを募集し、共にサーカスを立ち上げる団長のミュージカル物語。ヒュー・ジャックマン主演
「フリークス」1932米
サーカスで働く身体障害者たちが、彼らを軽蔑しつつ金目当てに騙そうとする美女に復讐しようとする話。モノクロ映画、魔神ドラキュラの映画監督トッド・ブラウニング
サーカス映画を観た後に、木下サーカスを見て、思ったこと。
もはや、フェリーニの道化師のようなはちゃめちゃをやる道化師はいないのか?大砲や銃を打ち鳴らし、斧をもうひとりの道化師の頭に振り下ろし、頭に仕掛けがあるのか、大量の涙を流し、パイを顔に投げつけ、めちゃくちゃやるということは木下サーカスではさすがになかった。
木下サーカスには動物はまだいるが、奇形者(フリークス)はもういない。小人症や巨人症、多毛症や欠落、結合双生児などなど。
「グレイテストショーマン」より、映画「フリークス」のほうがさらにフリークスな身体障害の方が出てきていた。調べたところ、映画「フリークス」は、本物の奇形者が多数出演したこともあって、センセーショナルで、イギリスでは公開から30年もの間公開禁止となっていたという。
サーカスに道義的な問題はついてまわる。
シルクドゥソレイユには、動物は出てこないという。木下大サーカスには、象二頭、ポニー5頭、ラマ一頭、ライオンが一頭が出てきた。
しかし、時代は難しいところにきている。
サーカスは怪物の見せ物小屋ではなく、技術的な技を披露する出し物と化するしかないのだろうか。
「グレイテストショーマン」では、団長がフリークスに対し「君は笑い物ではなく、みんなに必要とされるユニークな存在なんだ」などと説得していた。
実際の当時のサーカスはどんなものだったのか?
「いうこと聞かないとサーカスに売り飛ばすよ」という子供への脅し文句もあったらしいが…
サーカスに売り飛ばされたピノキオはロバにされて働かせられた。
サーカスの負の側面というものはどれほど本当だったんだろうか?
映画グレイテストショーマンもフリークスも、ただ虐げられるというよりも、サーカスを通して、自身が奇形であることに誇りすらあるし、そこでこそ初めて必要とされるというそんな感じを受けたが、特にグレイテストショーマンは美化しているのかもしれない。
しかし、サーカスが無くなることで、彼らはひとつの選択肢を失い、入院するか、手術を受けるか、引きこもりするしかなくなる。あるいは、一部は自身をネタにYouTubeをして、自らが自主的にある種の見せ物になるというのが現代的なのかもしれない。
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